5月19日(水)、浄敬寺報恩講がお勤まりになりました。
「お勤まりになりました」という表現におや?っと思われる方もいらっしゃるでしょうか。
私も初めて耳にしたとき、文法的に不思議な表現だな~と感じました。でも、この表現の深い意味を知り、なるほど!!と思わされたことです。
何か仕事をするときに「私が○○する」という思いや感覚で行うのは当たり前の日常です。しかし、これは私事なこと。報恩講は仏事です。
仏事となると、方向が大逆転します。逆転するとなると、私が勤めているのではなくて、私にまで届いた師や先人の歩みが私に報恩講を勤めさせてくださっている・・・ということになります。
「仏が私に今もこうして教えを届けてくださっている」「仏が私に今日の仏事を勤めさせてくださった」・・・主語が『仏』になります。『仏』は師や先人、先立って仏さまになられたご先祖。教えは弥陀の本願。これで、「お勤まりになりました。」が文法的に成立しました☆
親鸞聖人の御命日のお勤めが報恩講。親鸞聖人の生き様や教え、親鸞聖人が伝えてくださっている弥陀の本願について、改めて教えていただく日です。しかし、日頃の自分の在り様があまりにも教えに背いていることに気付かされます。
報恩講はごく身近な言葉で言うならば、「ごめんなさい」と「ありがとう」の日だと思っています。
お参りくださった皆様お一人お一人に背景や歴史があって、御本尊・親鸞聖人の前に今日こうして押し出してくださったのだな~としみじみ感じます。また次の年の報恩講がお勤まりになるように、日々つとめていこうと思っった次第です。
今年は午後から帰敬式も行いましたので、写真撮影を古くからの友人にお願いしました。撮影していただいた写真が届きましたら、こちらにも掲載させていただこうと思います。
感染症の不安も尽きない状況下でしたが、お参りいただきました皆様に心より感謝申し上げます。