今日は、浄敬寺の当院(とういん…この辺りでは次期住職を当院と呼びます。地方によっては若院とも言いますし、役職で言うなら副住職です)の話をします。
まず簡単な私たち夫婦の経歴から・・・。
夫・卓(たかし)は、現在46歳。浄敬寺の当院ですが、現在は兼業で出雲崎町の良寛記念で館長として勤務しています。新潟市北区(旧豊栄市)のお寺が生家で、私…ブログ管理者のお母さん僧侶・晴香の夫。私は浄敬寺の住職・坊守夫婦の元に生まれ育ててもらい、学生時代は京都の大谷大学で過ごした跡取り娘です(婿取り娘とも、家付き娘とも言うらしいですね)。つまり、夫・卓はお婿様です。跡取り・家付き、お婿様といえども、私たち夫婦はどちらの生まれ育ったお寺も専業で運営する規模ではなかったので、お互いの父親はかつて地方自治体の公務員(今は還暦も過ぎ専業で住職です)。私たちもまた、それぞれ雇ってもらって仕事をしていた経験がある夫婦です。
さてさて、今日の話題の人物、永寶卓(ながとみたかし)。
一般大学を卒業後、学芸員として長野の美術館に数年勤務した後、京都の大谷専修学院で学び、新潟市内のお寺の法務員として勤めている間に、妻・はるかにつかまり(笑)結婚・退職。義父(晴香の父)の退職により、押し出し式!?で、新潟市の寺院に再就職して約5年勤務の後、長男小学校入学に合わせて自宅から通える現在の仕事に就きました。
結婚して子育て期に入り、「背に腹は代えられない」状況の中、タイミングよく募集があり、進めてくださった知人がいて出会った仕事が、現在の出雲崎町良寛記念館での学芸員のお仕事です。
良寛さまといえば、書家・歌人として有名な禅宗のお坊さんですが、特に晩年は地元の真宗門徒との交流が多くあったようで、南無阿弥陀仏のお念仏の教えに通じる歌や書がたくさん遺されています。浄敬寺との二足の草鞋でもこれなら勤まるのでは…と勢いで決めたこともあって、慣れるまでは大変だったようですが、ここ数年、なかなかいい仕事をしているじゃないの…と、身内ながら思わされています。
夫はよく、良寛さまの歌に込められた表の意味と裏の意味の話を聞かせてくれることがあります。自然を表現した美しい歌に魅かれる方が多く、語り継がれる人柄にファンも多いようですが、仏教を学んだ視点で読み解くと、そこに記されている真実や、仏の教えを尊ぶ良寛さま姿勢に新しい発見があるようです。
そんな仕事場で、最近の大発見があったとのこと。伊達政宗の書簡が見つかったのだそうです。これは新聞にも取り上げていただきました☆良寛さまの話じゃなくて申し訳ない(汗)
公立の施設ならではの「先祖の蔵を整理しようと思ったら大量の古文書が出てきたから、読めます?(*ごくごく簡単に表現しています)」とのことで、持ち込まれた資料の中の一通だったようです。
美しい花押が目に留まって、どこかで見たような・・・と。
夫・卓、歴史や戦国武将の話が好きです。息子と語りだすと、少々マニアックな会話に、私は「・・・」となることもしばしばでしたが、知識も経験も、無駄なことなんてひとつもない!!
仏教の視点で読み解く良寛さまの話は、また何かの折に。
移動や観光がなかなか難しい時期ですが、静かにゆっくり鑑賞する美術館なら、気分転換によいかもしれません。ぜひお出掛けくださいませ。
出雲崎町良寛記念館 http://www.ryokan-kinenkan.jp/