浄敬寺盆参会(ぼん…
浄敬寺久々の年中行事、盆参会(ぼんさんえ)別名・盆内(ぼんうち) 兼 新盆法要、例年と少々形を変えながらも、無事お勤めすることができました。
お参りいただきました皆様ありがとうございました。再会できたこと、こころより嬉しく思っております。昨今の状況ですので、軽い体調不良でも自粛してくださった方もおられたかもしれません。日頃から極力、寺の玄関は開けておりますので、ご都合のよい時にお気軽にお立ちよりいただければと思います。
7月14日・15日の2日間の盆参会の様子です。写真で様子をお伝えしますのでご覧ください。
住職、『末燈鈔』より親鸞聖人88歳の時に書かれたお手紙の内容をあげて、お話しておりました。
「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとの死に合いて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。」 真宗聖典P603
簡単に意訳しますと・・・
「去年や今年は飢饉や疫病で老若問わず沢山の方々が亡くなられ、悲しいことです。しかしながら、生まれた以上いつどうなるか分からない命をいただいて生きているのは、如来の説かれた道理であると既に教えられていることで、驚くようなことではないのです。善信(=親鸞)の身でいえば、亡くなられた臨終の様子がどうであったかということは問わないのであって、信心の定まった人・疑いの心のない人は、すでに往生することが定まっているのです」
と記されています。
准坊守・晴香、記録写真を撮り、引き続いての読経の準備もしながら…のながら聞きでしたが、「いつどこでどんな時に臨終の時を迎えるか、誰も、勿論自分も分からないわけだけれど、私の口から出た南無阿弥陀仏のお念仏が既に如来他力の行であるならば、臨終の時も如来のおはからいにて往生させていただけるのだし、どんな世の中になっても、いのちの限り他力のお念仏を称えさせていただきながら、精一杯この娑婆を生ききるしかないな~」と思った次第です。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
秋のお彼岸、延期している報恩講お引上げをどのような形で勤めることができるのか、これから秋にかけての世間の状況・動向を注視しながら検討いたしまして、またご連絡させていただきます。
皆様、どうかお身体大切に、そして他力の念仏ひとつのご信心を大事にお過ごしください。